小野 文(理工学部, フランス語)
このコラムは、言語学習を多角的に捉えて提示し、言語の多様性に関心を抱いていただくのが趣旨だと思います。ところが私が今回紹介するのは、習得をお薦めできない言葉の話です。
異言(glossolalia)という言語現象のことを耳にしたことはありますか? 最も有名かつ古い例は、聖書のなかにあります。
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 (『聖書(新共同訳)』、使徒言行録2:1−6)
この出来事はペンテコステ(聖霊降臨)と言われる有名な事件です。ここでイエスの弟子たちは聖霊のはたらきを受け、不思議な言語を話し出しますが、そこにいた大勢の外国帰りのユダヤ人皆が、その言葉を解したというのです。異言は、キリスト教に限らず宗教的な場において神や別の生命体と交信する人たちが話す言葉として知られています。実は私もこの言語が語られるのを壁越しに聞いたことがあるのですが(そしてそれは背筋の凍る体験でしたが)、使徒たちの話した異言が「全ての人に通じる」言葉だったにもかかわらず、現代の異言は往々にして意味不明な呟き、特定の宗教グループ外の人には理解不能の言葉になっています。すでに新約の時代、パウロも無意味な音でしかない異言の危険性を指摘しています。
時代変わって19世紀末のスイスはジュネーブで、一人の若い霊媒嬢が「火星語」を話し出します。後にシュールレアリストたちから「自動筆記の女王」と称されるマドモワゼル・エレーヌ・スミス、タロットカードの絵柄にも登場する有名な霊媒です。近代言語学の父として知られるフェルディナン・ド・ソシュールも時と場所を同じくして生きており、大学の同僚テオドール・フルルノワに誘われて交霊会に出席します。そして霊媒エレーヌの語る「火星語」や「(疑似)サンスクリット」を聞き取っていくのです。心理学の教授だったフルルノワがエレーヌについてとった詳細な記録と分析は、『インドから火星へ:異言をともなう夢遊病の症例について』(1900)というタイトルで出版され、当時のオカルトブームの波にのってか、ベストセラーにもなっています。
エレーヌの話す火星語は、じつは完全にフランス語の置き換えで、逐語訳ができるものです。ジュネーブの交霊会に集まった参加者には複数の学者が含まれ、なかにはヨーロッパ諸言語だけでなく東洋の珍しい言語を解する人もいました。知識人たちのただ中で一身に注目を浴びながら、エレーヌは半覚醒状態で火星を描写し、火星人の語る言語をそのまま語り、翻訳します。例えば単語レベルでは、火星語の « metiche C. médache C. métaganiche S. kin't'che » は、フランス語では « Monsieur C. Madame C. Mademoiselle S. quatre. »、すなわち「C氏、C夫人、S嬢、4」となります。どことなく似通っている気もしますね。文章レベルでは、以下のような例もあります。
[火星語]Simandini cé kié mache di pédriné tès luné ké cé êvé diviné
[仏語]Simandini, je ne puis te quitter ce jour. Que je suis heureux !
[和訳]シマンディニ、この日私はそなたを離れることができない。なんと幸せな事か!
フランス語を学んでいない人でもお分かりのように、12個の火星語の単語に対し、フランス語の単語12個が対応しています。冠詞も否定辞も、全てが置き換え可能なのです。完全に逐語訳できることを考えるなら、日本語とフランス語のあいだのほうが、より距離があるということになりそうです。
エレーヌは火星の夢だけでなく、古代インドの夢、また王朝ロマンの夢と、大きく分けて三つの夢を見ますが、上の引用に垣間見られるように、それぞれの夢には転生したエレーヌの化身がおり、その世界において力ある男性から愛を捧げられています。古代インドでは、エレーヌの前世だと思われる王女は、なんとフルルノワ教授の前世の姿である王子と結婚していることになっています。そう、三つの夢はそれぞれ恋物語としても見ることができるのです。翻訳が容易な火星語も、意味不明の疑似サンスクリットも、エレーヌの異言はただ一つのことを言おうとしています。それは、「わたしの方を向いてください」という強烈なメッセージです。前世から結ばれているとされる愛に、エレーヌは気づいてほしいのです。
多言語都市ジュネーブで博識な学者先生たちに囲まれて、エレーヌは夢をみながら誰も知らない言語を語り出しますが、フルルノワはこれらの夢の産物を「前世」あるいは「異世界」のものとせず、彼女の下部意識(ちなみにフロイトはほぼ同じ時期、「無意識」を「発見」しつつあります)の作り出した幼稚な作りごとと決めつけます。彼はあくまで人間心理を研究する科学者として振る舞い、その長大な報告を本にまとめるのです。この態度にエレーヌは心底失望し、結局二人はケンカ別れします。エレーヌは夢のなかの異言を通じて「真の」そして「十全な」コミュニケーションが取れると考えていたのでしょうが、結局彼女の気持ちは通じないままに終わってしまったのでした。
異言現象の観察から言語学者ソシュールが得た知見は何だったのでしょうか。この時期から彼は「言語一般」なるものへと思索を深めていくのですが、火星語や疑似サンスクリットを熱心に研究したあと、急速にここから離れていきます。おそらく彼は、言語が異言に落ちていく淵を見たのではないか---これが私の仮説です。同時にそれは、言語を言語とならしめるものを省察することでもあったでしょう。「異言」という経験は、一般言語学の成立になくてはならないものだったのです。
異言現象や、それを話す人たちの存在に気づいていくことは私たちにとっても重要です。絶対的他者と交信しようとする欲求、完全な交信への憧れは、実に私たちの隣にあるものだからです。しかしその裏側にあるのは、人間言語への絶望と否定です。固有言語の複数性を消し去ろうとするのではなく、それをしっかり見据えていくこと。共通言語の幻想に逃げるのではなく、言語の距離を感じ取りつつ勇気をもって話すこと。-----私たちに託されているのは、この視点、この立場です。
(2025.3.25掲載)