複言語のすすめ

中国語とトクピシン語

山下 一夫(理工学部,中国語)

 オーストラリアの北側、インドネシアの東隣に、パプアニューギニアという国があります。ここは800以上の言語が分布する、世界でも有数の多言語国家です。イギリスやオーストラリアの支配を経て、戦後独立を果たしましたが、部族ごとに言葉が違うという状態にあったため、国民全体の共通語を設定する必要がありました。そこで選ばれた言語の1つに、「トクピシン語」という言葉があります。これは「ニューギニア語」とも言い、もともとは現地の人たちが「支配者」であるイギリス人やオーストラリア人相手に喋っていた「変な英語」です。
 「文法的に合っているかどうか」はどうでもよく、ともかく「ご主人様」に通じればいい、というのがトクピシン語の「出発点」です。例えば、疑問詞を文頭に出したり、主語と動詞をひっくり返したりするのは面倒なので、疑問文であっても肯定文と同じ語順で話します。また、過去形と現在形を使い分けるのは面倒だということで、時制も使いませんし、三人称単数現在で動詞に「s」も付けませんし、「a」や「the」といった冠詞もありません。さらには「I-my-me」など面倒だからということで、一人称は全部「mi」にしています。
 ずいぶん英語を簡略化したものだな、と思うかも知れませんが、その一方で、英語では単数形も複数形も二人称は同じ「you」ですが、これでは不便だということで、トクピシン語では二人称単数を「yu」、複数を「yupela」に分けています(ちなみにpelaは「fellow」が元だと言われています)。他にも、動詞の後に「bin」を付けて「経験」を表すことができるといった、英語には無い決まりも幾つかあります(binは英語の「have been to」の「been」が元です)。この言葉が、「ご主人様」であるイギリス人やオーストラリア人がいなくなった後も、現地の共通語として用いられ続け、ついには国家の公用語になったのです。
 そんな「簡略化された言語」などで、複雑な内容を表すことなどできるものか、と思うかも知れませんが、パプアニューギニアのテレビでは、世界各地で起こったさまざまな事件について、毎日トクピシン語でニュースが流れています。『聖書』もトクピシン語に翻訳されていますし、人々は普通にトクピシン語を使って生活していて、特に支障などはありません。
 学生たちにトクピシン語の話をし、例えば英語の「Where do you go?」は、トクピシン語では「Yu go we?」と言うのだよというと、たいていは笑って、それは楽で良いですねと言いますが、実はこのトクピシン語と非常によく似た言語があります。それが中国語です。
 中国語は、疑問文だからと言って語順をひっくり返したりしませんし、時制も、三人称単数現在も、冠詞もありませんし、一人称は全部「我」で、格変化はありません。一方で、二人称は単数が「你」、複数が「你们」ですし、動詞の後に「过」を付けると「経験」を表します。
 中国語も、昔は英語と同じように、時制や格変化があったことが分かっています。実際、中国語と先祖を同じくするチベット語では、現在でも動詞の活用が用いられています。しかし、中国では昔から異なる言語を話す集団が混じり合うことが多く、パプアニューギニアで現地の人たちがイギリス人やオーストラリア人と出会ったのと同じようなことが、有史以来何度も起こってきました。その過程で、中国語は徐々に現在のような形に変化していったのです。こうした言語のことを「クレオール言語」と言います。
 中国語というと、漢字、というイメージが先行するかもしれませんが、こうした「文法の単純化」も大きな特徴となっています。なにしろ、面倒な活用語尾などを覚える必要がないので、初学者にとっては勉強がしやすくなっています。中国語を勉強するときは、「声調」(tone)の習得がネックだとも言われますが、1000年以上前には8つもあったのが、やはりクレオール化が原因で、今では4つに減っていますから、昔からすると格段に覚えやすくなっていると言えます。
 クレオール言語は、トクピシン語や中国語だけではありません。他にも多くの言葉があります。興味のある方はぜひ調べてみてください。

(2018.3.15掲載)