複言語のすすめ

多言語化する地中海都市バルセロナ

八嶋 由香利(経済学部,スペイン語)

 最近、スペインからの独立問題で揺れているカタルーニャ州、その中心都市バルセロナには、世界中から観光客や移民が押し寄せる。街の周辺には、移民労働者が集住する地区も広がっている。ここでは、スペイン語やカタルーニャ語のような公用語1だけでなく、北アフリカのベルベル語、ルーマニア語、中国語など、数え上げたらきりがないほどの言語があふれている。
 しかし、私が初めてバルセロナに留学した1980年代後半、街の雰囲気は今とだいぶ異なっていた。1992年のオリンピック開催前で、バルセロナの国際的な認知度はまだ低く、地方都市特有の穏やかな時間が流れていた。当時、バルセロナで耳にしたのは、もっぱらカタルーニャ語とカスティーリャ語である。カタルーニャ語というのは、この地域固有の言語で、ちょうどスペイン語とフランス語の中間にあたると思えばよい。また、カスティーリャ語とは、私たちが学習するスペイン語のことだが、スペインでは「カステリャーノ(カスティーリャ語)」と呼ばれる。この2つの言語の力関係は微妙だ。義務教育においてどちらに比重を置いて教えるべきか、しばしば政治問題化する。「言語戦争」という言葉まであるほどだ。
 それまでスペイン語しか学んだことのなかった私が最もとまどったのは、大学の授業が軒並みカタルーニャ語で行われていたことである。先生方はみな親切で、私と個別に話すときはスペイン語で話してくれた。つたない私のスペイン語の答案も採点してくれた。彼らはバイリンガルなので、別に苦にはならないのだ。しかし、この2つの言語を自分のポリシーにそって使い分けている。例えば私のゼミの教授は、授業や講演など「公的空間」ではカタルーニャ語以外を話そうとはしなかった。言語は、その人のアイデンティティに根差す大切なもので、単なるコミュニケーション・ツールではない。カタルーニャの人びとが、自分の言語に対していかに愛情と誇りをもっているかがうかがえる。
 授業について行くのに苦労していた私にとって、極めつけの体験が、イタリア人講師のやってきた日だった。彼はいきなりイタリア語で話し始めたが、周囲の学生たちはうろたえる様子もなく講義を聴き、カタルーニャ語で質問した。質疑応答はイタリア語とカタルーニャ語との間で行われた。その場で(おそらく)唯一の外国人留学生であった私は、完全に蚊帳の外だった。そうだ、彼らは国や言葉は違っても、同じ文化圏に属する「マディタラニ(地中海人)」なのだ。
 あれから30年、バルセロナの言語状況はさらに複雑化している。自己のアイデンティティを探し求めるアフガニスタン出身の青年、アフリカ系の女性カタルーニャ語講師、強硬なカタルーニャ独立主義者となったペルー出身の男性...、どれも私の留学中には出会わなかった人たちだ。グローバル化する世界において、開かれた市民社会を自負するカタルーニャでは、人々は重層的かつ複雑きわまりない言語状況のなか、複数の言語を絶妙に使い分けながら、自分の人生を切り開いていくのである。

1 2006年からは、ピレネー山脈のアラン渓谷で話されているオック語も公用語として加わった。

(2018.3.15掲載)