複言語のすすめ

複言語、他者そして自我

呉 茂松(経済学部,中国語)

 僭越ながら自分のことから述べさせてもらうことにしたい。私は朝鮮半島に民族的ルーツを持ち、中国で生まれ育ち、いまは日本を生きる舞台としている。言語的には中国語、朝鮮語(韓国語・ハングル)で育ち、日本語でキャリアアップしているとも言える。環境に適応するために身につけた諸言語ではあるが、日中韓の国際会議で、同時通訳を行い、それぞれの言語で論文を発表し、単著・翻訳本も刊行した。英語教員が不足した中国での中学・高校時代は英語を習う機会がなかった。日本に来て、独学で英語の勉強をしたものの、特定分野の論文をひたすら辞書を引きながら解読する程度だった。経済学部でPEARL課程の授業を担当することを契機に、英語の勉強が捗り、仕事だけでもなく、生活の中でも英語の要素が確実に増えている。英語で話し、弾む会話が楽しい。その意味で、「教学相長」をともに実践できた学生たちに感謝する。固有の知識体系を持つ諸言語の世界は奥深く、その勉強も終着点がない。今も慶應外語の英語の授業に通い、日中英韓が入っている電子辞書は私の相棒である。特に通勤中に手放せないのはスマホではなく電子辞書である。気になる言葉を調べ、その意味、語感、訳をそれぞれの言語で比較しながら吟味することは、もはや生活の一部分となっている。
 私にとって言語はコミュニケーション・ツールにとどまらない。生きるルーツでもある。固有名詞たる名前も「吴茂松(ウ・マォスゥン),WU MAOSONG,오무송(オ・ムソン),呉茂松(ゴ・モショウ)」のようにその言語に根差した発音があり、一本化できない。中国的、朝鮮半島的、日本的な思考と行動様式が実体として私の中に内在している。逆にいえば、一人の個人に複数の言語、文化が雑居しているとも言える。それがなお私の生存力を高め、生活を多様化させ、想像力を閃かせていることは確かである。
 複言語的、多文化的な状態は、私を相手のことをその内面性から理解できるようにさせている。私の授業風景の一シーンを紹介しよう。「地域文献研究(北東アジア)」という諸国の憲法などを読み解く授業だったが、日中韓の学生もいるし、堅苦しい雰囲気を一変するために、それぞれの国歌の歌詞と背景を紹介する時間を設けた。憲法の理念を思想的、政治的にだけではなく、なぜ人は国歌を聞いて奮起するのかについて、感情的に理解することが狙いだった。日、中、韓に加え、朝鮮民主主義人民共和国の国歌「愛国歌」(歌詞は異なるが大韓民国の国歌も『愛国歌』)も紹介した。「すっかり指導者を讃える歌だろうと思い込んでいたが、韓国人も奮い立たせる歌詞だ」と、韓国人留学生が感激していた。言葉のレベルを超え、一つの主体が、もう一つの主体性を理解しようとする瞬間であった。いくら政治的に敵対する(した)国同士であっても、相手の主体性が理解できれば、自我と同格な他者として尊重することに繋がり、それがまた重層的な価値観の樹立に結びつく。グローバリゼーションが訴える国境を超えることは、まず人々が他者に開かれた心で、他者が理解できる重層的な価値観を内面に持つことから始まると私は考える。複言語は、諸他者に開かれた心を育む与件となる。
  他言語を学び操ることは、他者を学び理解することに繋がるとはいえ、それは認識においても、実践においても、主体的な自我を前提とする。この前提がなければ、受動的で、他律に流されがちである。補完的ではあるが、主体的な自我認識もまた他者性主体に対する凝視から生まれる。「かがみ」たる他者、如何にその「鏡」に照らして「自画像」を描き、如何にその「鑑」から習って自我を律していくのかに、他者を学ぶ本当の意義がある。そのため、他者と共存するなか、如何に「強靭な自己制御力をもった主体」を生み出すのかは、日本の信条的、価値的な雑居状態を憂えた丸山眞男が、『日本の思想』の中で、「革命」の課題でもあると強く訴えた一つのメッセージでもあった。その意味で、他者を学ぶこと、複言語の世界にいることは、自分を知り、自分を拓いていく一つの「道」でもある。これもまた他者との協働の要件であり、特殊性から新たな普遍性、固有性を生む出発点でもある。
 決して一つの言語に縛られずに複数の言語を行き交う人が、今の時代には多くいる。その場合、個人が一つの言語に属するのではない。それぞれの言語が個人に属し、生きる舞台で活用され、また生きる舞台を拓いていく。複言語は他者を理解するための必要条件でありながら、同時に自我を啓き、自我を形成する必要条件でもあると、私は思う。蛇足になるが、複言語の世界において、二元論では説明し切れない事象は数多くある。そのため私は二元論ではない、三元論で物事を考えることになった。これもまた複言語という世界が私に与えてくれた一つの主体性だと思う。

(2019.9.4掲載)