複言語のすすめ

コロナ禍と戦うロシアのユーモア

熊野谷 葉子(法学部,ロシア語)

 私はロシア語の教師だし、ここは複言語のページなのだから「ロシア語を学ぶとこんなに役に立つ」と説くべきかもしれない。だが実際には、最近はロシアでも英語のうまい若い人が増え、観光でもビジネスでも最低限の用事は英語で事足りるようになってきた。ロシア文字さえ読めれば、ロシアに行くならロシア語必須、とは今日かならずしも言えない。
 ただ、自らを顧みればわかるように、人は母語だと外国語の数倍はおしゃべりになるし、外国のジョークにはなかなか笑えない。言わなくてもいい本音が出るのも母語だろう。ことにロシアの多くの人は、おしゃべりを愛し、議論を愛し、人の話をよく聞く。ロシア語に寄せる愛情と誇りもひとしおだ。現代ロシアの主要なコミュニケーションツールとなっているVKontakteというSNSを見ても、投稿数が多く一つ一つの投稿が長くリプライも多い。YouTubeやテレビでは1時間も2時間も続くインタビューや地味なトークが人気だ。こうした濃密な言語コミュニケーションは今に始まったことではなくロシア文化に深く根差していると思われ、そのことは例えば、ロシアの小説の豊富さ長大さ、小説中の語りや会話の饒舌さにも見ることができるだろう。私はロシアの農村で話を聞いたり歌を集めたりしているが、こうしたフォークロアが今日まで細々とながらも残ったのは、濃密な言語コミュニケーションの伝統ゆえであろうと思う。
 そのフォークロアの中でも特に私が気に入っているジャンルに、一つ一つは4行詩だが次々に掛け合いで歌われて盛り上がっていく「チャストゥーシカ」という俗謡がある。19世紀末から20世紀末までのロシアでは知らない者がなく、各地で踊りながら歌われた。歌の内容と歌い方は多岐に亘るが、例えば村の若者たちが集まりアコーディオンが鳴り出すと、女の子が進み出て
     踊りに行くよ           Пойду плясать,
     頭を振るよ            Головой тряхну,
     灰色のこの瞳で          Потом серыми глазами
     誘惑しちゃうよ!         Завлекать начну.
などと歌う。するとそれを受けて男の子が
     アコーディオン弾き、弾いとくれ  Ой, играй, гармонист,
     女の子たちが踊るから       Да девушки попляшут.
     うまいかどうかは別として     Хорошо не хорошо,
     お手々を振って踊るから      Да ручками помашут.
と、からかうような歌を繰り出す。このように半ば即興的な歌が次々に歌われた。その内容は恋愛、悪口、政治風刺まで様々だ。我々に分かりやすいソ連末期の歌にはこんなものもある。
     クレムリンの壁のなか       Во Кремлёвской во стене
     誰かがしくしく泣いている     Кто-то тихо плачет.
     あれはミーシャ・ゴルバチョフ   Это Мишу Горбачёва
     皆にぶん殴られている       Мужики колотят.
 こうした短くてユーモラスなチャストゥーシカというジャンルは、詩と語りを愛し、フォークロアの伝統が長く残ったロシアらしい文化現象だったが、政治経済が強くなり農村人口が減った21世紀には、根強い愛好家はいたものの急速に衰退した。
 ところが2020年4月、上述のVKontakteに一本の動画が流れてきた。世界的な新型コロナウイルスの蔓延でロシアでは前月から日本よりはるかに厳しい外出禁止令がしかれ、「カランチン」とか「自己隔離」と呼ばれる自宅待機措置がとられている。動画はモスクワ郊外の高層住宅が立ち並ぶよくある住宅地を映し出した。何棟ものマンションが広い中庭に面しているが、歩いている人はまばらだ。その中庭の真ん中に全身防護服でマスクをつけた二人組が座り、抱えているアコーディオンを鳴らし出した。この楽器の音量はけっこうなものだから、マンションの住人達が何だ何だと窓から顔を出す。二人組は自らの伴奏に合わせて歌いだした。
     カランチンでひきこもり      Мы сидим на карантине -
     でも退屈してる暇はない      Дома некогда скучать.
     バラライカは弾いてるし      То играть на балалайке,
     英語の勉強はしてるし       То английский изучать!
自己隔離の状況を歌うこのチャストゥーシカを皮切りに、二人は様々の陽気なチャストゥーシカを5分ほど披露して引き揚げていった。周囲のマンションの住人達は拍手喝采、動画のコメントも「すばらしい!」「私の町にも来て!」と皆大喜びだ。
 この粋なパフォーマンスが気に入った私は動画の元をたどって数時間後には演奏者本人とSNS上の「友達」になっていた。ローモフさんというその方は音楽家で、すぐに自分と仲間たちが作ったコロナ対策にまつわるチャストゥーシカをいくつも教えてくれた。
     以前は近所のターニャに会うと   Раньше мы с соседкой Таней
     熱いキッスをしてたけど      Жарко целовалися.
     この頃彼女の顔見ると       А теперь её увижу -
     急いで肘で口隠す         Локтем закрываюся.
飛沫感染防止である。カランチン・チャストゥーシカのテーマは他にもいろいろあるが、家で「食っちゃ寝」の運動不足もその一つだ。
     家に彼女とこもりきり       Дома с миленькой сижу,
     でも運動はしているよ       Но зарядку делаю -
     冷蔵庫開けて中を見て       В холодильник загляну
     その周りをランニング       И вокруг побегаю.

  前述の動画はあっという間に1万回再生を突破し、十日あまりで7万回を越えたが、この間に寄せられた多くのコメントに否定的なものは一つもなかったという。この動画はモスクワ州のニュースサイトにも掲載された。
 こうしたパフォーマンスや一連の「カランチン・チャストゥーシカ」が人々の間に引き起こす共感と笑いを見ていると、ロシア語とロシア人のユーモア精神の力強さを感じずにはいられない。それをこうして日本語で伝えられるのも、ちょっと嬉しいことなのだ。

   マンションの中庭でチャストゥーシカを演奏したローモフ氏(右)とママーエフ氏(左)
   (ローモフ氏提供)

(2020.5.5掲載)