複言語のすすめ

英語の向こうにあるもの

北川 彩(慶應義塾高等学校,英語)

 最近お気に入りの曲が2つある。Sebastián Yatra, ReikのUn AñoとManáのEl Verdadero Amor Perdona。どこか聞き馴染みのある旋律を耳が捉え、切ない歌詞が心にすっと届いてくる。初めて聞いたとき、自分の中に自然と溶け込んだ。
 私は英語の教員である。教室では、英語を学ぶ意義を説く。「英語は、未知への無数の扉を開いて世界と自分を結び、自分の可能性を広げてくれる。英語を学べば自分を知れる。」そんな話に、そうかぁと生徒は耳を傾ける。けれども、そう語りながら、本当に伝えるべきことはそれだけかと、何かが心に引っかかる自分がいる。今や英語は、母語話者の概念が揺らいでしまうほどの世界共通語となった。しかし、絶対的な地位を確立した英語に安心し、寄りかかり過ぎてはいないだろうか。そんな疑問がふと湧いてくることがあるのだ。
 英語教師として教鞭をとりながらスペイン語を学び始めて10数年になるが、もしスペイン語を学んでいなければ、今の自分はどんな自分だっただろう。きっと、最初に挙げた2つの曲も、David BisbalもLa Oreja de Van Goghも知らない世界に暮らしていたはずだ。インカ帝国の悲しい歴史や南米の人たちがスペインに対して抱く感情に触れることもなく、cevicheやarroz con leche1を口にしながらおしゃべりに興じることもなく、そもそも最大のスペイン語圏であるラテンアメリカのことを、世界に実在する形あるものとして自分の近くに感じることはなかったかもしれない。
 英語は、確かに私と世界をつなぎ、翻って、自分が何者であるのか考えるきっかけ与えてくれた言語である。そこでは自分のことを自分の言葉で語ることが求められ、のほほんと生きてきた私の本当の自分がいつもむき出しになった。新しいものと交わる喜びと本当は空っぽな自分が悟られてしまうかもしれない怖さ、その2つが折り重なる異文化との遭遇を、英語を介して経験し、繰り返してきたからこそ、英語への慢心が自分の中にもある気がするのだ。英語の存在が、自分は世界と直に繋がっているのだという自負と錯覚を呼び、知らないうちに英語圏以外の文化と自分の間に壁を作り上げてはいないか。そんな見えない壁が出来上がっていたとしたら、その壁に穴をこじ開け、腕を伸ばしたらそこにあるものに直接触れられるようにしてくれた言語がスペイン語であるという感じがする。
 ではUn AñoやEl Verdadero Amor Perdonaが私にもたらすものは何か。それは、価値観を大転換させるほどのものではない。むしろ、他言語や他文化に触れるほど、人はみな根本的には同じであるように私には思えてくる(もちろん、どの文化に触れてきたかにもよるだろうが)。だからこそ、英語に続く第三言語、第四言語を学んでいくことの意味はもっと単純なところにある。今の自分には見えていない、世界のどこかに眠っているものを発見し、その本質を肌で感じること。ゴッホが好きなら、ゴッホの絵画をその目で鑑賞すること。人の生き方を豊かにするのはそういうことであり、それこそがUn AñoやEl Verdadero Amor Perdonaがもたらすものではないかと思う。英語の教員だからこそ、謙虚になり、他言語を通して得られるものがあるということを心に留めておきたい。
 ここまで書いてふと私自身が他言語を通して得たものを振り返ってみると、それは人であり、モノであり、だが大概にして形がなくそれを適切に表現する言葉すらない尊いものだった。ただ、言語学習がもたらすものは、言語と背中合わせでいつも語られてきた文化的なものだけに限定される訳でもない。もっとシンプルに、言語そのものにそもそも魅力があり、人はそれに惹かれ、言語を楽しむことができるのだ。ワクワク感、それを言語自体がもたらしてくれる。そんなところにも目を向けてほしいという思いから、最後に、私の琴線に触れるもうひとつの複言語の魅力について、言語的側面から書き添えたい。
 私にとってのそれは、発音である。英語の生き生きとしたストレスのタイミングは私の心を躍らせ、日本語とは違うそのリズム感を表現することには心地よさを感じる。スペイン語のapical trill2 を、日本語でも英語でも使わない様式で調音器官を巧みに動かし発音するたびに心は弾む。その音は、ふざけながら友だちと巻き舌をして遊んでいた学校の帰り道を思い出させてくれる、私にとっては遊び心がある音なのだ。それを発音するのが楽しい。
UK-map.jpg とりわけapical trillに関しては、日本語母語話者でも人生において一度くらいは何らかの場面で挑戦したことがあり、舌尖をぶるぶる振動させるという何とも言えない不思議なその調音方法に面白みを感じたことがあるのではないだろうか。日本語母語話者にはべらんめえ口調で馴染みのあるこの音を言語音として使う言語は多く、Ladefoged and Maddieson(1996)によると世界の75%の言語にはrと表記される音が存在し、何らかのtrillをひとつ持っているというのが最も一般的であるという。さらにrと表記されるtrillはapical trillとuvular trillに大別され、前者の方が出現頻度は高い。例えばヨーロッパの言語では、スペイン語だけではなく、イタリア語やロシア語にも存在し、アジアにおいてはアラビア語、タイ語、タガログ語でも使われる。そして実のところ、英語にもapical trillはある。以前よりは廃れてしまったものの、EdinburghやAberdeenのスコットランド英語ではスペイン語と同種のvoiced alveolar trillが聞かれる(Hughes, Trudgill, & Watt, 2012; Wells, 1982)。
 発したことのないこうした言語音を味わえることは、文化的な魅力を発掘するのに匹敵する高尚な楽しみであり、複言語学習の醍醐味のひとつであることは間違いない、と私は感じる。そんな自分の音感覚を大切にしつつ、グローバルな時代だからこそローカルを重んじ、彩りある生き方ができたら幸せだなぁと思う。複言語が私に教えてくれた英語の向こうにあるものは、そういうもの。

1 どちらもペルー料理の定番。Cevicheは魚介類のマリネのこと。たっぷりかかったレモンが爽やかに味をまとめ、おいしい。Arroz con lecheは、お米をミルクで甘く煮込み、シナモンをかけて食べるデザート。癖になる味。

2 Apicalは舌尖を意味し、trillは調音器官を使って連続的に閉鎖を繰り返すことで生成する音を指す。スペイン語のapical trillはvoiced alveolar trillで、いわゆる巻き舌のこと。

参考文献

Hughes, A., Trudgill, P., & Watt, D. (2012). English accents & dialects (5th ed). Routledge.

Ladefoged, P., & Maddieson, I. (1996). The sounds of the world's languages. Blackwell Publishing.

Wells, J. C. (1982). Accents of English 2: The British Isles. Cambridge University Press.

(2020.9.15掲載)