複言語のすすめ

複言語の勧め

藤谷 道夫(文学部,イタリア語)

 情報の洪水にさらされる現代では、誤った情報に躍らされることがないよう、情報の真偽を見極める情報リテラシーを磨くことが現代人にとって何よりも不可欠な要件になっている。そこで重要となるのが論理的な思考であることは言うまでもない。しかし、論理的・数学的思考は物事を考える土台となる必須条件だが、それだけでは次のような事例を判定できない。言葉の知識がなければ、嘘は見抜けないからである。
 例えば、百田尚樹『日本国紀』のポップで、著書自身が「historyの語源はstoryです。これは私たちの物語なのです」と書き、宣伝文句には「一家に一冊、日本通史の決定版」とある。英語しか知らない人であれば、「そうか」と言いくるめられてしまうかもしれない。しかし、もしギリシャ語を知っていれば、stroyよりもhistoryの方が遥かに古いことが判る。historyの初出は紀元前5世紀の「歴史の父」ヘーロドトスの『歴史』の῾ιστορία(ヒストリア)である。その意味は「(著者)自ら研究調査したところを書き述べたもの」(松平千秋訳)であり、まさに百田尚樹は自ら調査せずに勝手に思い込みを書いていることが判る。storyはラテン語historiaから派生した比較的新しい語で、13世紀頃フランスで生まれ、英語のstoryになった。著者の現実認識はいつものようにあべこべであり、このような誤った歴史認識の著者が書く「歴史」とは何であろうか。
 一つの言語しか知らないということは、情報のチャンネルが1局しかないようなものである。その放送局が報じる情報がすべてとなる。スイスではテレビのチャンネルを回すたびに、異なる言語の放送を行なっている。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語の4か国でニュースを知ることができる。同じ情報でもそれぞれ異なる視点から物事を知ることができて有益である。英字新聞を読むだけでも、日本の新聞が伝えるものとは異なって興味深い。しかし、現代では英語だけでは十分でなくなってきている。
 とりわけアメリカの情報はヨーロッパとは価値観を異にするため、注意が必要である。アメリカ人は自分たちを民主主義の砦のように喧伝してきたが、それが脆くも崩れ去ったことを、前回の大統領選挙は白日に晒してしまった。ヨーロッパの人々は、アメリカ人の言う民主主義は本当の民主主義ではないとよく口にする。アメリカ経由のみの情報で考えると、大きな間違いを起こすことがある。多くの言語を習得すればするほど、観測点が増えて、像も鮮明になる。物事をよく考えようとする時、真実により迫ろうとする時、最初の一歩は外国語を学ぶことである。
 外国語を学ぶことは世界に心を開くことであり、他の国に住む人々の文化やものの考え方も同時に学ぶことができる。そうすれば、例えば、選択的夫婦別姓に反対しているのが、世界で日本だけだということも判ってくる。なぜ日本だけ?夫婦別姓だと何が悪いのか、などとさらに深掘りして考えていくことができる。外国語を学ぶことは、その国の歴史や思考法を同時に学ぶことであり、世界がグローバル化した現代では、欠かすことのできない視点を与えてくれる最強のツールと言える。そして、そのためには若いときから始めることがとても重要になる。確かに、勉強に年齢はなく、年を取って始めても素晴らしいが、習熟するまでに時間がかかるため、若くして始めた方が、その外国語を使う機会が増えるので有利である(仕事に活かすこともできる)。しかも、(自動車の免許取得と似て)若いほど脳が柔らかく、理解や吸収も早いため、この点でも有利である。是非、大学時代から何か新しい言語を始めて、自分の世界を広げて頂きたい。

(2021.3.26掲載)