複言語のすすめ

オーストリア―ドイツ語、ドイツ人、ドイツ文学?

杉山 有紀子(理工学部, ドイツ語)

 日本は日本語を話す国、ドイツはドイツ語を話す国。ではオーストリアはどうでしょう? オーストラリアではありません(No kangaroos in Austriaというのはオーストリア定番の自虐ジョーク)。ドイツの隣にあり、人口はドイツの10分の1強という小さな国で、公用語はドイツ語です。日本人からするとどうも違いがよくわからず、ドイツのよく似た弟分のようなものと思っている人も多いでしょう。確かに「ドイツ語」と完全に別物の「オーストリア語」が存在するわけではないのですが、授業で習うようないわゆる標準ドイツ語を当然のものと思ってオーストリアに行くと、ちょっと戸惑うかもしれません。オーストリア特有の単語に加え、地方によってそれぞれ周辺地域の影響を受けた方言もあります。中でも辞書に「南独・オーストリア」と注釈付きで標準と異なる単語や発音が載っているように、南ドイツ方言に近い発音、表現が広く用いられています。また、標準とされるニュースなどの言葉でも、かっちりした印象の強いドイツのそれに比べて柔らかで流麗なイントネーションなど、具体的に聞き取れなくてもある程度特徴は感じられるでしょう。
 自国に誇りを持つオーストリア人にとってこの相違は重要です。「あなたの母語は?」と尋ねたら、胸を張って「オーストリア語」と言う人もいるかもしれません。けれども実のところ、現在のオーストリア共和国にあたる地域に住む人々においても、つい最近まで―というのはだいたい20世紀後半まで、オーストリアが一つの国民(Nation)であるという意識はほとんど存在しなかったのです。
 かつてハプスブルク帝国はオーストリアに加えハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ルーマニア、スロヴェニア、ポーランドやウクライナの一部など中東欧の広い地域を支配していました。帝国は1918年に解体され、現在のオーストリア共和国はそのごく一部であるドイツ語圏の部分にすぎませんが、長い歴史を反映してオーストリアの苗字は今でも東欧にルーツを持つものが多く、また特にウィーンでは発音にも東欧言語の影響が残っていると言われます。さて、この多民族・多言語帝国の中で、数としては少数でありながら支配民族であったドイツ系の人々は、オーストリアという国に属しつつも他民族との関係において、ドイツ語を話しドイツの伝統や文化を担う「ドイツ人」と自覚していました。ところが19世紀後半、軍事力に優れたプロイセンが中心となってドイツ帝国を成立させたとき、オーストリアはそこから排除され「ドイツ人」でありながらドイツ国民国家の埒外に置かれることになります。多くのオーストリア人がその後もドイツへの統合を夢見ていたのですが、こともあろうにそれを成し遂げたのはオーストリア出身のアドルフ・ヒトラーでした。1938年にナチス・ドイツに併合され(その当初は大半のオーストリア人がヒトラーを歓迎していたことは言っておかねばなりません)、1945年の敗戦とともに「解放」されたオーストリアは、それからようやく少しずつ「ドイツではない」一国民としての自覚を育てていったのです。戦後間もなくは「ドイツ」との差別化を急ぐあまり、学校の国語を「ドイツ語」と言わずに「授業言語」と呼んでいた時期さえありました。現在はそこまでではないにしても、ドイツへの親しみとライバル意識の入り混じった複雑な感情は今に至るまで続いています。
 望むと望まざるとにかかわらず、人は言語によって考え、認識し、表現する生き物ですから、言語とは「自分が何者であるか」をもっとも本質的に体現するものであるとも言えます。その精髄こそが文学ですが、私が専門とする「オーストリア文学」はその意味で少々定義に困るものになっています。というのもハプスブルク帝国には当然チェコ語やハンガリー語、ポーランド語、さらにユダヤ人の用いるイディッシュ語など、さまざまな言語の作家がいました。彼らの属した国は当時の「オーストリア」ですが、現在では東欧の各国文学の範疇で扱われます。一方で当時の例えばプラハからは、日常的にチェコ語も用いつつ、ドイツ語を母語としドイツ語で書くという作家も輩出されています。この場合現在のオーストリア共和国から見れば外国にあたる地域で生まれた作品ということになりますが、こちらは「オーストリア文学」に数え入れられ、大学では「ドイツ文学科」で扱われるのが一般的です。こんなところにも「オーストリア」なるものの入り組んだ事情が姿を現すのです。
 文学に限らず、外国語を学ぶことはその言語によって紡がれてきた歴史の一端に触れる体験でもあります。授業で「標準ドイツ語」を身に付けておけば、ドイツ語圏のどこへ行っても一通りのやり取りはもちろんできます。でも、オーストリアの人々が日常的に話すちょっと違うドイツ語には、強大なプロイセンや東欧の諸国民との絶えざる交わりの中で歴史を重ね、最終的に一国民としてドイツから自立するに至った複雑な歩みが刻まれているのだと思うと、その一見軽やかな響きもより陰影豊かに聞こえるような気がしませんか。
 もしオーストリアに行ったら、まずはGrüß Gott!(あるいはServus!)と挨拶をしてみましょう。そしてカフェに入ったらMelange、Einspänner、Braunerなどの変わった名前を持つコーヒーを飲みながら、地元の人々の話す声に注意を向けてみてください。きっと、今はもはや大部分が異国となってしまったかつての「東の帝国」(=エスターライヒÖsterreich)からの遠い残響が、あなたの耳にも届くことでしょう。

(2024.3.22掲載)