複言語のすすめ

「優しい」日本を作るための外国語学習

境 一三(元外国語教育研究センター所長,ドイツ語)

 今では、コンビニに行っても、外国人の店員さんに出会うことは珍しくなくなりました。アジア人の店員さんが多いですね。たぶん、彼らの母語は、中国語以外に韓国語、ベトナム語、タイ語、タガログ語、ヒンディー語、ネパール語などのアジア語、それに(ブラジル)ポルトガル語などでしょう。いずれにせよ、現在の日本はこうした外国人の力なしには成り立たない国になってきました。合計特殊出生率が下がり続け、2016年の統計では1.44ですから、「日本人」だけでは超高齢化する社会を支える労働力に不足が生じるのは明らかです。
 そのような日本で喫緊の課題は、きちんとした移民政策を打ち立てることだと思いますが、現状ではそれもないままに、なし崩し的に外国人の勤労者が増えています。また、そのような政策と共に必須の課題は、かれらを受け入れる「日本人」が、かれらと共に生きるためのすべを学ぶことだろうと思います。「日本人」は今までこのような経験に乏しいために、このままきちんとした政策と教育がないままでいると、今後外国人との間に(すでに萌芽が見られる)摩擦が拡大し、社会に亀裂が走る危機が訪れるのではないかと危惧されます。(いわゆるインバウンドの観光客も急増していますね。)
 今かれらを受け入れ、かれらと共にこれからの日本社会を作っていく上で、私たちが身につけなければならないのは、多様性に対応する力でしょう。世界の多様性を知り、さまざまな価値観を学び尊重できる人となること。そうして初めて、日本に来て、住み、学び、働く外国人と共存することが可能になるでしょう。
 重要なのは、少数者の外国人に、多数者である私たちに合わせることを一方的に要求することではなく、「日本人」である多数者も少数者のことを学び、互いに尊重しあう関係を構築することだと思います。そのためには、「日本人」はいままでよりもさらに外国語と外国文化を学ぶ必要があるでしょう。それは、直接的にかれらの言葉でコミュニケーションを取ることができるようになるという意味だけではありません。もちろん、できるに越したことはありません。しかし、外国語をかじるだけでも意味があると思うのです。それは、新たな言語を学ぶ苦労を通じて、相手が今置かれている困難な状況に思いを馳せることができるようになるからです。
 外国語で話すと、仮に自分の言いたいことが四苦八苦の末に伝えられたとしても、相手が猛スピードで応えてきたために全く理解できず、結局話が続かなかったというような経験をすることがあります。こうした経験をとおして、外国人と日本語で話すときは、どのようなスピードで、どんな単語や語法を使ったらより良く通じ合えるか、ということに思いをいたすことができるようになるのではないでしょうか。(いわゆる「やさしい日本語」です。)
 幕末以来長い間、外国語を学ぶことは、西洋の先進的な文物を取り入れ日本を豊かにするためでした。その次の時代は、日本の海外進出のために外国語を使えるようにするというのが旗印となりました。もちろん、そうした外とのやり取りの需要が減ったわけではありません。しかし、それに加えて、「内なる外国語使用」ということが現在の課題でしょう。それは、「日本人」がより分かりやすく、多くの人に通じる日本語を使えるようになるということと切っても切れない関係にあります。オリジンを異にする多くの人と共に、この日本をより住み易い、「優しい」ところにするためにも、外国語と外国文化を学ぶ必要性が増していると言えるでしょう。

(2018.3.15掲載)